スタッフ紹介

【院長】松本 政男

【院長】松本 政男

出身地
北九州市で生まれ、幼少時に行橋市へ引っ越してきました
生年月日
1963年(昭和38年)9月8日生まれ・兎年の乙女座です
血液型
O型
好きな食べ物
肉類・麺類・甘い物
嫌いな食べ物
辛い物・刺激物・苦い物
趣味・現在ハマっているもの
読書・映画鑑賞・神社巡り・御朱印帳集め・ツーリング・筆文字・笑い文字
自慢できること
福津市にある宮地嶽神社の朔日詣り・一番祈願には20数年間通っています

はじめまして!

はじめまして!

こんにちは。からだ快福整体行橋院長 松本政男です。

ここでは簡単な自己紹介をさせて頂きます。

子供の頃はどんな子でしたか?

子供の頃はどんな子でしたか?

子供の頃は、好奇心の旺盛な活発な子だったと記憶しています。

今でも覚えているのが、当初は行事の保育園に通っていましたが、昼休み時間中に友人と保育園を抜け出し、自宅まで数キロを歩いて帰って周囲の大人を驚かせて怒られたことを記憶しています。なにか嫌なことがあったんでしょうね(笑)

次にカトリック幼稚園に転園し、今川の土手を歩いて通っていました。

当時は、土手に子犬や子猫が捨てられており、良く拾って帰っては両親に怒られていました(笑)

今回、改めてアルバムを見てみると、幼稚園時代の先生からのメッセージに「素直な心と勇気を持って、お友達のお話を聞ける、お行儀の良い元気な子供になって下さい」と書かれているところを察すると、人の話を聞かない落ち着きのない子供だったんでしょうね(笑)

 

 

小学校・中学校時代はサイクリングに夢中になり、自転車に沢山の荷物を載せては様々な場所に出掛けていました。

遠く熊本県の祖母宅まで自転車で行ったこともあります。

当時の夢はサイクリングでの日本一周でしたが、その夢は叶いませんでした。

 

高校時代は、オートバイに夢中になり、友人と様々な場所にツーリングに行っていました。

今でもオートバイは大好きで、時折ツーリングに出掛けています。

 

 

 

 

施術家になろうと思ったきっかけは何ですか?

飲食店を経営している30代の頃に、目の病気になり失明の危機に落ちりました。

当時のことは、人生の一大転機だったので鮮明に憶えています。

 

私は30代の頃に飲食店を経営していました。

皆様の御愛顧のおかげで店はとても繁盛していました。

しかし、あることがきっかけで朝起きると、視界に細い髪の毛のような線がありました。

しかし、当時は仕事も多忙で若かったため、それほど気に留めていませんでした。しかし、やはり不安感も有り行橋市内の眼科を受診しました。

眼科では検査の結果「目が充血しているから疲れ目だろう」と言われ目薬のみを処方されました。

しかし、目の中の黒い線は次第に太くなり、視界の半分ほどを塞ぐようになってきました。

 

さすがに不安になり、翌日 大学病院を受診すると緊急入院・緊急手術となり医師からは「あと一歩遅れていたら失明していた」と告げられました。

長期入院のため、経営していた飲食店は閉鎖となり、人生は一転しました。

もし、最初の医師の言葉を信じて大学病院を受診していなかったら、私は失明していたと思います。しかし、その医師が診断ミスを問われ、賠償してくれることはありません。

健康とは、あくまで自己責任であることを痛感し、健康の大切さを骨身に感じ、少しでも健康に対し不安がある方の健康回復のお手伝いができればと思い整体業に足を踏み入れました。

 

 

 

 

具体的に今後はどんな施術家になっていきたいですか?

具体的に今後はどんな施術家になっていきたいですか?

私自身が、ケガや病気などで不調のツラさや健康の大切さをしみじみと感じています。
なので皆さんに、寄り添えるような施術家になりたいですね。

なにかあっても「からだ快福整体行橋」に行けば大丈夫だから!と、いつも心の片隅にあって、安心して貰えるような施術家になりたいです。

別にテレビに出たりとか、カリスマ先生と呼ばれたいというのは一切ありません。
それより、街で見かけたら気軽に挨拶して、世間話ができるほうが嬉しいです。

長崎県のゴッドハンド

新医学療法・量子無限意識療法

創始者 中里俊隆先生と

千葉県のカリスマ治療家

B・H・S療法

創始者 肘井博行先生と

東京都の凄腕治療家

BRM療法 

創始者 吉田邦夫先生と

日本一の大富豪 齋藤一人さんの最後の愛弟子

「感動の条件」「心の磨き方」等著書多数

永松茂久氏と

「人生に悩んだら歴史に聞こう」「幸せの神様に愛される生き方」等著書多数

白駒妃登美先生と

良くなる整体からだ快福整体行橋: